関大徹という禅のお坊さんが書いた本です。40年ぶりに復刻されました。各章のサブタイトルがすごい。すがすがしいほど曖昧な表現はありません。
「食えなんだら食うな」
「病なんて死ねば治る」
「無報酬ほど大きな儲けはない」
「ためにする禅なんて嘘だ」
「ガキは大いに叩いてやれ」
「社長は便所掃除をせよ」
「自殺するなんて威張るな」
「家事嫌いの女など叩き出せ」
「若者に未来などあるものか」
「犬のように食え」
「地震ぐらいで驚くな」
「死ねなんだら死ぬな」
今の時代に「家事嫌いの女など叩き出せ」なんてモラハラもいいところです。しかし、掃除や食事の支度などといった家事は禅僧にとって大切な修行の一つです。一般的には女性が担うこととされて軽んじらていますが、こういうことをふまえて女性の立場に対する眼差しは温かさに満ちています。お茶目なところもあって実際は女性にもてたようです。 「病なんて死ねば治る」は医療者として関心があるところです。間違っても私が患者さんに言ったら大変なことになりますが、大徹和尚は自分の病気の体験を中心に語っています。胃癌を患ったときは素直に手術を受けました。私みたいに「癌で死んでみたい」などと周囲の人を困らせるようなことは言いません。当時、癌の告知はしてはいけないことでしたが、主治医に自分が生死について語る立場であることを説明して白状させました。主治医が済まなそうに告知したのに対して迷惑をかけたと感謝の念を述べています。男性の病室が満床だったため女性の病室に入ることとなり一悶着ありましたが、病室にいた女性の一人が檀家さんで、いかに大徹和尚が人畜無害であるかを熱弁したため、何とか無事収容となりました。ただし、半性(男でも女でもない)とはいえ、他の同室の女性たちに迷惑をかけてしまったことを気づかっておられました。「家事嫌いの女など叩き出せ」と言っていますが、本当はこのようにもてたのでした。
「ガキは大いに叩いてやれ」も誤解を抱くタイトルですが、和尚が実際に子供に命の大切さを叩き込んだのは一度きりです。怒りにまかせて子供を叩くなどとは論外なことです。
「死ねなんだら死ぬな」の結びは、ある年の年賀状に書いた言葉です。お年寄りに対する心遣いと大徹和尚自身の覚悟がうかがわれます。しかもユーモアたっぷりです。
人生は六十から。
七十代でお迎えのあるときは、留守といえ。
八十代でお迎えのあるときは、まだ早すぎるといえ。
九十代でお迎えのあるときは、そう急がずともよいといえ。
百歳にてお迎えのあるときは、時期をみましてこちらからぼつぼつと参じますといえ。