院長ブログ カーブ

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第401回 忙酔敬語 断捨離人生

 第198回「女性の健康のための教室」(9月21日)の冒頭の挨拶です。

 「悩み多い人生の足かせとなっているのが、今の自分にまとわりついている現実や忌まわしい過去、未来への心配です。断捨離とはそんなよけいな物を捨て去ることです。簡単に言えば身辺整理。案外、捨てられる物(者)はいっぱいあります。自分の命以外は捨ててしまいましょう。今回は何を捨てられるか皆さんと一緒に考えたいと思います」

 私は整理整頓が苦手です。机の上のパソコンの前は、読みかけの雑誌やメモ用紙にととっておいた出来損ないのコピー用紙で満載。そこに載せきれない雑誌は医局のテーブルに進出して、さらには癌のようにソファーの一部にまで浸潤してしまいました。ここまで来ると自分だけの問題ではすまされません。とうとう強制断捨離させられました。

 断捨離のコツは「ときめく物」と「ときめかない物」を区別することだそうです。今回の断捨離では、残念というかいい加減というか、どれを見てもときめく物はないので、迷惑をかけているエリアの物は即決撤去とあいなりました。

 ただし中宮寺の弥勒菩薩の写真像(土門拳撮影)だけは「ときめいている」ので残してもらいました。昨年の9月6日の大地震の時、医局の本棚は奇跡的に無事で、ただ本棚の上に飾っておいたほこりだらけの弥勒菩薩像だけが床に落ちて覆いのガラス板が割れていました。まるで身を挺して当院を守ってくれたように‥‥‥。

 本当はこんな言い方は好きではありません。ですから「仏様が守ってくれたんですね」と言われても鼻で笑っていました。ただこの写真が気に入っているだけです。中学生のとき、担任で美術の田中先生が情熱的に日本の仏像のスライド写真を紹介してくれました。その中で一目惚れしたのがこの弥勒菩薩像です。土門拳さんの写真は昔から人気ナンバーワンで、懐に忍ばせて戦地へ行った兵士もいたそうです。

 私にはもともと断捨離の才能があったようです。母に聞かされた話ですが、年端もいかない頃、何か気に入らないことがあってグズッていたのに業を煮やした母が「そんなに言うことが聞けないんなら風船を放しなさい!」と言ったところ、少しもためらわずに握りしめていた風船の糸を放したため、風船はあれよあれよという間に空高く上って行きました。回りの大人たちは唖然としたそうです。脅しに屈しただけかもしれませんが・・・。

 ではなぜ今まで断捨離できなかったか? ただきっかけがなかっただけです。別に物に囲まれていても不自由に感じたことはありません。断捨離にこだわること自体が断捨離の対象となるのではないか?と居直っています。でもゴミ屋敷みたいになるのもみっともないことです。人に迷惑をかけない範囲であればOKではないでしょうか。

 家もこんな調子なのでいらない物であふれ返っていました。2年前にリフォームしたため、20年間ため込んでいた物が断捨離できました。その中には小学2年生のときに描いた成田山へ行ったときのダルマ屋のクレパス画や、中学2年のときに刷った多色木版画による釧路の夕暮れの風景などがありました。それまで5年ごとには引っ越しをしていたので、それなりに断捨離できましたが、梱包も解かずに移動した物も少なからずあり、とうとうこんな物まで出てきてしまいました。ためらわずに断捨離。  ともこレディースクリニックの佐藤先生に話したら、「わたしなら死んでも手放しません」と呆れられました。俺って断捨離の才能ありだな、とあらためて思ったことでした。