鉄製の振棒《四貫二千振》を手に入れて2ヵ月以上たちました。伝説の剣豪・大治郎は、道場入門者に対して四貫の振棒を与え、二千回振れるようになってから稽古を許したそうです。女子プロレスの入門基準としてスクワット500回と聞いたことがありますが、比較するのがバカバカしいほど現実不可能な気がします。実在した幕末の剣客・榊原健吉は長さ六尺(180㎝)、重さ三貫(11㎏)の振棒を二千回振ったそうですが、それよりも一貫重いわけです。伝説の剣豪・大治郎なる者を調べてみたところ、白井亨という剣客の幼少名が大治郎でしたが、四貫の振棒を振ったかどうかは定かではありません。
中学生のとき少年少女世界名作文学の『三国志演義』に熱を上げました。その頃に読んだ本のディーテールはよく覚えているもので、「桃園の誓い」のあと、関羽は50㎏の鉄を手に入れて鍛冶屋に青竜刀を作らせ、以後、それを振り回して大活躍します。鍛冶屋の腕よりも鉄50㎏に重点を置いた表現でした。関羽に増して暴れん坊の張飛も同じような重さの矛を作らせましたが、それが何㎏だったかは覚えていません。大体、中国の小説は表現がオーバーで『水滸伝』の豪傑たちも実用不可能な重さの武器を振り回していました。
さて現実問題です。実際に四貫もある振棒なんて誰も振れるはずはなく、手に入れた《四貫二千振》は長さ85㎝、重さ3㎏です。現代風にアレンジしてシニアの方にも安全とのこと。それでも初めて振ったときはあまりの重さに身の危険を感じました。これまで振っていた1㎏の樫の木刀が桐の木のように軽く感じたほどです。
本物の真剣は1㎏をやや越える程度だというので、1㎏きっかりの樫棒では物足りなくなっていたのですが、いきなり3㎏はやばかったです。常々、度を超した運動で体を壊すのはバカだと言ってきましたが、自分もバカになるところでした(とっくにバカか?)。
稽古は鉄棒をゆっくりと12回振って終わり、あとは木刀を振ってそれまでどおり計120回としました。それでも毎日では壊れそうなので鉄棒振りは3日に1回としました。この方針は適切だったようで、3日後にはわりとラクに12回こなせるようになりました。これだともっと回数を増やせるんではなかろうかと考え、ある日、24回振ってみました。腕の痛みは3日目にはまったく消失。そこでさらに3度目(9日後)には36回と3度毎に12回ずつ増やしていったところ、とうとう無事60回に到達しました。60回鉄棒を振った後は木刀60回で計120回。ここで鉄棒振り回数増加計画はとめました。
鉄棒を振るときは無理がかからないように型に注意して腰を落としてゆっくりと60回、その後の木刀はスピードを入れて空気を切る音がブンと聞こえるように60回振ります。鉄棒で型に重点を置いたためか木刀の振り具合も良くなったような気がします。機会があれば師匠の白石産科婦人科病院の武田先生に見てもらいたいと思っています。
もっと余裕が出てきたら鉄棒も早く振るようにするつもりです。この歳で筋力が増加したのには気を良くしています。鉄棒を振った翌日は右の上腕にわずかに痛みが残りましたが、最近は何も感じなくなり、今では、とうとう毎日振れるようになりました。痛みを感じなくなったのは腕よりも体幹を使って振るようになったからだと考えられます。 以上、今回は女性にはまったく興味がなさそうなことを書いてしまいました。私はお肌スベスベ、胸もフックラでスタッフに「おばさん」とからかわれています。ここで男子であることを証明したかったのでした。