先月、「リル」という名前の赤ちゃんが生まれました。男の子です。「リルって女の子の名前じゃないの?」と訊ねても若い夫婦はただニコニコしているばかりでした。何となく自信がなくなって、ロビーで待っていたお祖父ちゃんに(といっても私とほぼ同年代ですが)「『上海生帰りのリル』ってご存じですよね、リルって女の子ですよね」と確認しました。お祖父ちゃんもニコニコ笑っていましたが、私の問いにそうだとばかり頷きました。私はさらに確かめたくて「リール、リール、どこにいるのかリール。誰かリルを知ら~ないか」とワンフレーズ、調子っぱずれの声で歌ってしまいました。お祖父ちゃんは苦笑いしながらまた頷いてくれました。
日本人の名前は、これが同じ民族かと思うほど時代とともに大きく変化してきましたが、最近はさらに拍車がかかったように色々な名前が現れました。外国の名前も気軽につけられます。女の子なのに「ノア」とか「リア」。旧約聖書の『ノアの方舟』やシェイクスピアの『リア王』でも分かるように、これらは男子の名前です。
「ステラ」という名前をつけられた女の子がいました。私はアメリカの小説『ステラ・ダラス』を思い出して、「こんな名前をつけられて不幸になってしまうかも」とついよけいな事を言ってしまいました。言ってから「しまった!」と反省し、「でもステラって最高に良いお母さんになるかもよ」とあわてて付け足しました。『ステラ・ダラス』は、上流階級の男性との間に生まれた女の子を、女手一つで懸命に育て上げ、社交界デビューをさせたあげく、自分は身を引くという哀れな女性の物語で、『母の悲曲』という翻訳名もあります。私は子供のとき両方とも読んで、哀れな「ステラ」に涙しました。1990年に『ステラ』という題名で映画化もされており、私はテレビで見ましたが比較的原作に忠実でした。しかし、いずれにしてもアメリカの階級社会に反感を覚えて不愉快でした。
イギリス王家の名前は昔から変わりませんね。ウィリアム王子とキャサリン王妃の間に生まれた男の子がジョージです。みんな中世からある名前です。
アラブの世界も変わりません。昨年、イスラム教徒のカップルに男の子が授かりました。お父さんは大変喜んで、生まれたときコーランをとなえていました。名は「サージン」。「あの十字軍時代のアラブの英雄、サラディンですか?」と訊ねると「そうです」と言うのでビックリでした。
日本人の名前がこんなにコロコロ変わり、伝統に関して全く無関心。こんなんで日本人のアイデンティティーは大丈夫なのかと、一時心配したこともありましたが、これが日本人本来の特徴なんですね。明治維新のとき、それまで文章のよりどころにしていた漢語をあっさりすて、英語中心で学問を始めました。医学も漢方からドイツ医学に変更。当時のレベルなら臨床的にはドイツ医学よりも漢方の方がはるかにすぐれていたはずなのに不思議に思いました。しかし、漢方は個人個人を治すは得意ですが、伝染病などの疫学に関しては不得手でした。そんなわけで国家レベルとしては西洋医学を取り入れて正解だったのかもしれません。しかし、だからといって漢方をすてることもないのになあ‥‥‥。
最近、少子化問題も含め国際的にも日本の存在感が薄れているように感じます。しかし、赤ちゃんの名前のつけ方の多様性からも分かるように、日本人本来のしたたかさは変わっていないぞと、あらためて日本の未来に希望を持ったのでありました。
第84回 忙酔敬語 赤ちゃんの名前