紀伊國屋に行ったら、医学関係のコーナーに慈恵医大の先生たちによる日本語訳『ウィリアムス産科学』があったので立ち読みしました。ちょうど妊娠高血圧症候群や切迫早産の妊婦さんが入院していたので興味がわいたからです。
これが実に面白かった。日本ではご親切にも日本産婦人科学会による『産婦人科診療ガイドライン産科編』が3年ごとに改訂出版されていますが、木で鼻をくくったような解説が多く、今一つ人間味に欠けています。
それに対して『ウィリアムス産科学』は全編すべてではないが読み物としても面白い。ただ、値段が4万円くらいもして、しかも厚さ7㎝、重さ3.6㎏もあるのでちょっと手を出しかねました。不埒にもときどき紀伊國屋に立ち寄って立ち読みで済まそうかと考えましたが、帰ってからやっぱり手元に置いておきたいなと思いなおし、アマゾンに注文しました。紀伊國屋さん、ごめんなさい。
医局に届いた本を郷久先生や津村先生に見せたら、さすが両先生、2人ともすでに英文の本を購入していました。英文は翻訳の半値です。しかし読み流すには2人にも大変だったようで、さらにそれらの本ははるか昔に出版されたものでした。
『ウィリアムス産科学』は教科書の通例で、第1章「産科の概要」に続いて第2章「母体の解剖学的構造」がありますが、もちろんそんなのはとばして今現在興味のある部分のみを拾い読みしています。解剖学なんて今さら読んでもほとんど臨床の役にはたちません。
そこで思い出したのが『解体新書』です。
ドイツ人医師ヨハン・アダム・クルムス著の医学書のオランダ語訳『タートル・アナトミア』を杉田玄白、前野良沢らが4年もかかって苦労のすえ翻訳しました。高校の歴史の教科書にも掲載されている書物です。その苦労たるやまさに暗号解読でした。
世間ではこの翻訳本によって日本の医学が急速に発展したかのように理解されていますが、臨床にたずさわっている者としてはちょっと違うような気がします。だって『ウィリアムス産科学』の解剖学編をすっとばしているんですよ。
それは医学部の基礎で解剖学を勉強したからではないかと言われるかもしれませんが、基礎で学んだことは目の前にいる患者さんにはほとんど役にたっていません。実際、『解体新書』は今眺めても面白くも何ともありませんが、杉田玄白晩年の著書『蘭学事始』には暗号解読の苦労が書き記されています。この方が一般的に知られていると思います。
解剖学は外科系の医療には直結に役立ちますが、当時は安全な麻酔もなく、危なっかしいかぎりでした。黒沢監督『赤ひげ』に、下腹部に腸も出てくるほどの大ケガをした女性を手術するシーンが出てきましたが、まさに拷問のような雰囲気でした。
ただし、新しい知識を貪欲に吸収しようという若者(中年も)が大勢いたことは事実で、これが明治以降の近代化につながりました。文系ではありますが夏目漱石のイギリス留学時の狂気じみた勉強も有名で、その膨大な知識は『我が輩は猫である』の登場人物の会話にもかいま見られます。若者の学問への意欲は現代人の想像を絶するものでした。
お子さんの進学について「うちの子は勉強しない」と嘆くお母さん、あなたが子供のとき「勉強しなさい」と言われて「ハイ、分かりました。勉強します」と勉強しましたか?本人のやる気がなければいくらヤイノヤイノ言ってもお互いに疲れるだけですよ。
第315回 忙酔敬語 『解体新書』は役にたったのか?