プラセボとは日本語では偽薬と言います。
患者さんにこれ以上強い薬は使いたくないときに偽って処方するというのが第一の意味でした。昔、末期のがん患者さんの痛みに対してモルヒネを処方すると麻薬中毒になると信じられていたことがありました。そこで、痛みを訴える患者さんにブドウ糖などの注射でごまかしていました。まことにもって気の毒なことでした。
第二の意味は、新薬の開発のときに二重盲試験として使用される実薬のかませ薬です。二重盲試験とは、患者さんはもちろん、処方する医師にも内容を知らせない方法です。実薬だと知っていると医師は「効くんだぞ!」という気配を生じさせるため、新薬本来の効果が分からなくなります。逆にいうと、プラセボでもけっこう効果を発揮します。効果がないと判明して製造中止になった薬がありますが、乳腺炎などに使ったダーゼンやノイチームなど「あれ、けっこう効いたんだけどなあ」と思うことはしばしばあります。
もともとは悪い意味で使われていたプラセボですが、最近は良い意味でも用いられるようになりました。同じ薬を処方しても医師によって効果が異なることは昔から知られていました。それを発展させた概念として治療的自己(治療的自我)なる言葉が注目されています。信頼できる医師にかかればたいていの病気は改善します。だから信頼される医師象を目指そうというわけです。でも具体的にどう研鑽すれば良いのでしょう? ちょっと哲学的でたいていの医師は戸惑います。
ここで登場するのが東洋医学的診断法、すなわち「四診」です。
一つめは「望診」。患者さんの全体像を見た瞬間に把握します。弱っているのか、怒っているのか、熱がっているのか等々。名医はこの「望診」で半分以上の情報を得ることができます。「舌診」も一応「望診」に含まれますがちょっとニュアンスが違う気がします。
二つめは「聞診」。患者さんの声の調子、臭いなどを把握します。私は最近、ヤキが回って記憶力が衰えてきましたが、おかげさまで耳や鼻はよくきいて、患者さんの吸っている煙草の本数まで見当がつきます。長年の喫煙者は声がダミ声なので耳でも分かります。生活がすさんでくるとお風呂にも入らなくなるので体臭がツーンと鼻に来ます。
三つめは「問診」。西洋医学の問診とほぼ同じですが質問の内容が若干違います。
四つめは「切診」。患者さんの体に触れます。「脈診」や痛む場所の確認などです。お腹を押す「腹診」は日本独自のものです。
さて、以上、「四診」は治療者から患者さんへの行為ですが、これらは逆に患者さんから見た治療者の評価にもなります。
パッと目でダメなら「望診」で治療者の資格なしです。訊ねる声の調子がぶっきらぼうだったり上から目線だったりすると「聞診」でアウトです。加齢臭、口臭も「聞診」でアウト。「問診」は患者さんに確認しているようで、治療者も同時に観察されています。的外れな質問をくり返せば信頼されません。痛く荒々しい診察は「切診」でアウト。
逆にこれらをパスすれば治療的自己を備えたプラセボ効果を発揮する良い治療者となります。要するに患者さんからの逆四診です。
えっ、何ですって? そう言うお前はどうなんだですって?
うーん‥‥‥。今、まさに研鑽中です。
第305回 忙酔敬語 プラセボ効果と逆四診