私はケンカは嫌いです。平和主義と言えば聞こえは良いが、ようするに戦うのがメンドーなのです。スタッフから治療方針に関していろいろ注文が入ります。こっちとしても言い分はありますが、当院の規模や条件から考えると確かに彼女たちの言っていることは筋がとおっています。カチンと来ることもありますが、最近はメンドーなので、「ハイ、ハイ」と素直にしたがっています(このブログをスタッフが読まないことを祈っています)。
さて、オリンピック。これってまさに戦争ですね。平和の祭典だなんて言われていますが全部ウソ。最近、東ドイツが大規模なドーピングをしていたことが暴かれていますが、当時を知る私たちの世代では、そんなことは常識でした。とくに女子選手がやたらに筋肉質で男性的。面白いように金メダルを取りまくっていました。現在と違ってオリンピックにはアマチュア選手しか出場できないというルールがあり、その点、西側の選手は不利でした。優秀な選手はほとんどプロとして稼いでいたからです。ソ連をはじめとする東側では、プロスポーツそのものが存在しないので、国家ぐるみで優秀な選手をオリンピックへ送り込みました。現在のロシアなんて可愛いものです。
平和の祭典と戦争が混在した象徴的なオリンピックは1938年のベルリン大会でした。先頭に立ったのが史上最悪の悪魔と言われるヒトラー。彼のアイデアでアテネから会場まで聖火が運ばれるようになり現在に至っています。ベルリン大会の記録映画『民族の祭典』はヒトラーの指導のもと、天才女性監督レニ・リーフェンシュタルによって作られましたが、その出来映えは今見ても圧倒されます。
第二次世界大戦はベルリン大会の翌年、1939年にドイツ軍のポーランド侵攻から始まりました。歴史を後からとやかく言っても仕方ありませんが、第一次世界大戦を引き起こしたドイツがヒトラーのもと、みごとにベルリン大会を成功させた時点でアブナイと思わなかったんでしょうかね。チャップリンの『独裁者』が制作されたのは1940年で、すでに手遅れ。でもアメリカは、まだノンビリ構えていました。
今回のリオのオリンピックでは、予想以上に日本選手が活躍しましたが、そこまで頑張らなくてもと、私は思いました。とくに銅メダルで終わった柔道選手たちは、金じゃなくて残念です、と言っていましたが、敗者復活戦からよくもめげずに頑張りました。ストレートで金を獲得した選手からよりも学ぶところは多いと思いました。
ついでに高校野球。猛暑の中での甲子園。あれってけっこうヤバイです。黙っていても熱中症になる危険があるのに、あまりにも過酷な大会です。とくに投手はプロと違ってローテーションもなく、終盤になれば連続出場。若いから回復するのでしょうがプロでも体を壊します。もっとも昔は、神様、仏様、稲尾様と言われた伝説の投手がいましたが、あまりにも過酷な登用で選手生命は短命でした。
地方の病院に勤務していた頃、野球で肘を痛めた高校生を何人も診たことがありました。たいしたレベルでもないのに、ほとんどの選手はどこか故障を抱えています。イチローのようにケガをしない選手はそれこそ選ばれた人たちです。努力すれば良いってもんじゃありません。思い出作りとして、オレはあそこまでやったんだ、と酒を飲み交わす以外はその後の人生に大した意味はなさそうです。
第239回 忙酔敬語 オリンピックと戦争