前回、「赤ちゃんにとって保育器よりもお母さんの方が良いに決まっています」とかっってに締めくってしまいましたが、ちょっと補足します。
カンガルーケアは、自然界においてごく当たり前のことで、赤ちゃんが一人で行動できるようになるまで続けるべきことです。
「ええっ、そんなに?」と言われるかもしれませんが、本当に「そんなに」なのです。 アフリカのウガンダでは、赤ちゃんが生まれてから1年間、カンガルーケアが行われていました。第47回のブログで紹介しましたがあらためて紹介します。
〈1956年、フランスのマルセル・ジーパーが、栄養不良が子供の知能に与える研究をするためにアフリカに調査に入り、画期的発見をした。そこには予想とは違い、今までの世界の何処においても遭遇したことのない、早熟で賢い、知能の進んだ乳幼児が存在していた。ウガンダの母親は、陣痛が始まると自分一人で子どもを出産し、後始末を済ませ、産後一時間ほどで、生まれたばかりの赤ちゃんを抱いて親類縁者に披露していた。新生児は、母親の首から吊された三角巾のような帯の中に、おしめも付けずに裸のまま収められ、四六時中、母親の胸から離れることなく育てられる。赤ちゃんは欲しくなればいつでも乳を飲むことが出来、母親は吊り布一枚を隔てた肌の触れ合いから、赤ちゃんの気持ちをいつも感じ取り、何をして欲しいかを即座に理解することが可能なのである。赤ちゃんは、敏感で注意深く、静かに満ち足りていて、驚くほど長い時間、目を覚ましていた。そしてほとんど泣くことがなかった。なぜなら、赤ちゃんの要求が泣いて訴えるほどに膨らむ前に、母親はその思いが何かを察知し、それに応えてあげることが出来るからである。母親は赤ちゃんのどんな仕草も見逃さず、子どもの全ての思いに応えるのである。驚くことに、こうして、育てられたウガンダの赤ちゃんは、生後二日目には、前腕を支えてあげるだけで、まっすぐにお座りが出来、背中をピンと伸ばしていたそうである。首の座りも早く、目は自分の意志と知能とで、母親をしっかりと見据えていた。いつも機嫌良くにこにこ笑いながら。その後、ウガンダにも近代的な分娩施設が造られ、自然分娩・自宅分娩から、人工分娩・産院分娩に変わった。そして産院で人工分娩によって生まれ、吊り帯で育てられなくなった赤ちゃんには、前述した「ウガンダの赤ちゃん」の素晴らしい特徴は、ほとんど消えてしまったそうである。ウガンダの赤ちゃんの育て方が、そのまま日本で通用するはずもないが、出産を自力でなし遂げ、その後の一年間、赤ちゃんを24時間片時も離さずに抱き、慈しみながら育てた母親がいて、その赤ちゃんがユニークな発達を遂げたことは事実である。〉
ねっ、ナチュラルでしょ? 思い起こすと私自身、幼少のみぎり、夜が怖くて一人で放って置かれるのは考えただけでもゾッとしました。ですからアメリカ映画で、幼い子供が立派な部屋で「おやすみね」とキスされてから一人にさせられるのを見ると、豊かではあるが本当に大丈夫なんだろうかと心配になりました。
当院名誉院長の小児科の南部先生は、親子の絆を深めるため、幼子をはさんで両親が川の字になって寝ることを提唱されていました。とにかく子供に不安感を与えないのがその後の成長にとって大事なことなのです。始めから鍛えてはかえってもろくなります。十分甘えることができてから人に対する信頼が形成されて強く育つことができるのです。
第237回 忙酔敬語 カンガルーケアの補足