カモ~ォメ─ェエ~エ~エ~エ~ェ~エ~ノ~オ~ォオ~オ~オ~ォ~‥‥‥‥‥‥‥、ナク~ネ─ェエ~エ~エ~エ~ェ~エ~ニ─ィイ~イ~イ~イ~ィ~、フト~ォメェエ~エ~エ~エ~ェ~オ~ォオ~オ~オ~ォ~‥‥‥‥‥‥‥、サマ~ァア~ア~ア~ア~ァ~シ~ィイ~イ~イ~イ~ィ~、アレ~ェエ~エ~エ~エ~ェ~エ~ガ~ァア~ア~ア~ア~ァ~ァ、エゾ~ォチ~ィイ~イ~イ~イ~ィ~ノ~オ~オ~オ~ォ~‥‥‥‥‥‥‥、ヤマ~ァカ~イ─ィイ~イ~イ~イ~ィ~ナ~ァア~ア~ア~ァ~。
佐野は気でも違ったのでは、とお思いでしょうが、これはれっきとした江差追分の本歌の歌詞です。
「鴎の鳴く音にふと目を覚まし、あれが蝦夷地の山かいな」
たったこれだけの歌詞を3分半ほどかけて引っ張るのです。読点(、)までワンフレーズで息継ぎなし。息を継いだら失敗です。肺活量のある方が有利ですが子供でも上手な子は息継ぎなしで歌えます。要するにテクニック。
今年の秋、例年どおり江差で江差追分全国大会が行われました。私は昭和62年から1
年間、江差町立病院に勤務していました。そこで当時の院長に勧められて月謝500円で習ったのが江差追分。それでつい懐かしく昔を思い出してしまいました。
師匠は青坂 満先生。歴代の名人中の名人で、歌唱力はすでに峠を越えていましたが、その人柄とアジのある声は全国でも鳴り響いていました。本業は漁師で(当時すでに引退していましたが)家は鴎島。まさに江差追分の申し子のような方でした。
江差は北海道でも歴史の古い町で、北前船によるニシン景気で「江差の春は江戸にもない」と言われるほどの賑わいでした。もちろん函館よりも歴史は古く鎌倉時代から和人が住んでいました。人口は当時五千人程度でしたが、古い町が大体そうであるようにチョット閉鎖的なところがありました。
江差追分に関しても、ある年配のご婦人は「世界で一番難しい歌です」と胸を張っていました。確かに難しくはありますが夜郎自大的な感じがして滑稽に思ってしまいました。稽古をするときは独特の節回しを現した木の板を見ながら、師匠の棒にあわせて「エ~エ~エ~エ~」と唸ります。西洋音楽の楽譜でそのメロディーを表現するのは困難と言われていますが、基本的な音階はピアノのキーでたたき出すことは可能です。ただしこれに気づいたのは江差を去ってからで、追分にはまった私は札幌に戻ってからも自分の声をカセットに録音しながら練習を続けました。さすがに今はやっていませんが、基本的な音感は身についているので、節回しくらいはほぼ外さずに出来ます。ある日のこと、江差追分の稽古のため家一件分のお金をつぎ込んだという大坂の人が会館を訪れました。その歌を聴いて皆シーンとしてしまいました。細かい部分はサスガがと言っても良いのですが、まったくの音痴だったからです。青坂師匠も何も言えず気まずい雰囲気がただよいました。
自分ながら運が良かったのは、当時、一緒に習っていた青坂門下の菊池さんが全国大会で優勝したことでした。菊池さんも現役の漁師で追分の申し子でした。また、病院のベテラン助産師さんや厨房のおばちゃん、用務員の兄さんとも親しくなりました。兄さんに誘われて鴎島の師匠の家に遊びに行ったこともありました。皆さん、とても良くしてくれました。本当に郷に入っては郷に従えとつくづく思ったことでした。
第199回 忙酔敬語 江差追分