診療前の朝のひととき、外来のスタッフが何やら話し込んでいました。
「せっかくボーナスを頂いたのに、ほとんど塾などの教育費で消えてしまうと話していたところです。先生のお子さんはどうでしたか?」
とっさに返事が浮かばず、
「別に無理して勉強させてもしょうがないしなあ。男の子だったらナイスガイ、女の子だったら母性豊かな子に育ってくれれば良いと思うんだけど」
と、ワケの分からないことを口にしたら、
「じゃあ、今度、ブログにでも書いて読ませてください」と宿題を出されてしまいました。頼まれたら「ノー」と言えないのが私の損な性分。今回、ガラにもなく教育論をぶってみます。
自分の子供はさておき、半世紀以上も昔のことだしあまり参考にならないと思いますが、まず、私自身の経験を紹介します。私が塾通いしたのは釧路にいた中学生のときでした。函館の進学校をめざしていたからです。塾頭は英語担当。発音に独特のクセがありましたが、学校の先生と違って外人と自由に会話ができ、教育に対する哲学と言えば大げさですが一つのビジョンを持っていました。だから学校の授業よりも面白く、学校の行事と塾の授業がダブルブッキングしたときは迷わず塾を優先し、後で学校の先生にばれてしまいました。しかも先生も英語担当。「ヤバイ!」と思いましたが、苦笑いをして胸を軽くこづかれただけですみました。塾頭は釧路の中学生は理系に弱いと考え、塾では数学と理科の授業も行っていました。この頃の私は理科が得意だったので別に受ける必要もありませんでしたが、講師が高校の先生なのでレベルも高くて面白く、これもマジメに受けました。おかげでめでたく志望の高校に合格。もともと私がいた中学は当時の釧路ではトップレベルだったので、塾に通おうが通うまいが受験した8名が全員合格しました。
高校では寮生活をしていたので塾通いはなし。地元の生徒も下宿していたヤツも私の知っているかぎりでは塾通いはしていませんでした。もっとも高校の先生たちのレベルが高く塾通いする必要はありませんでし時間もありませんでした。
私は子どもの頃から医師になることを志望していたので札幌医大を受験しましたが、ノリが悪く二浪してやっとこさで合格しました。浪人時代はもちろん予備校に通いました。予備校では高校で同期のヤツらも大勢いて、それなりに楽しく過ごしていましたが勉学にはやはり身が入らず二浪に突入。同期の大半はめでたく札幌医大に入学しました。取り残されて二浪目になってからやっと学問の面白さが分かるようになり、予備校半分、自習半分の生活をしました。世界史ではみんなが敬遠する中央アジア史にハマったり、オスマン帝国のスレイマン一世のことが気になりわざわざ図書館に行って本を借り出すほどでした。この辺のところ、今の自分と変わりません。
てなワケで子供にもよるでしょうが、勉強が楽しいと思える環境を提供するするのが親のつとめだと思います。楽しくなければ身に入らず、いくらお金をかけても無駄です。それでもダメなら勉強の向かない子なのでしょう。女子高生を見ていると勉強よりもパートを大事にしている子が大勢います。学校の勉強がすべてではありません。
さて、それならば私の娘たちは現在どう育っているか? それはヒミツです。
第184回 忙酔敬語 子供の教育費