「マッサン」のエリー、健気で好きです。先月の放送で可哀想なことに流産してしまいました。ここで産科医として気になった点がいくつかあります。
まず、原因が階段から落ちたということ。だいたい、こういう設定はドラマの決まりごとで、栄一郎が「食事は二階でする」と言った時点から「そろそろ来るな」と予感しました。エリーはニコニコしながら「それではみんなで二階で食べましょう」と三人分の焼き魚の皿をお盆に入れて階段を上がります。そして、やはりスッテンコロリンと転げ落ち、病院に運ばれました。当時は大正時代の末期、命に別状なければ産科関係のことはほとんど産婆さん任せだったはずです。
医師は深刻な顔をして言います。
「お気の毒ですが赤ちゃんは助からないでしょう」
エコーもないのになぜ分かるんでしょう。当直明けのN先生と、
「納得がいかないなあ」と顔を見合わせました。
翌日、エリーが貧血だということが判明。そこで階段から落ちた直後に大量に出血したことがうかがい知れました。朝っぱらからそんなシーンを放映したら非難ごうごうでしょう。貧血になるほどの出血なら流産と判断してもしかたありません。
さて、流産の原因について。流産のほとんどは染色体の設計ミスです。はじめから運命は決まっていて、物理的な刺激で起こることはまずありません。
これまで交通事故にあった妊婦さんを何人も診てきましたが、首の骨を折っても、大腿骨を折っても、フロントガラスに顔を突っ込んで形成外科の先生にお世話になっても、母体の命に別状がなければすべて赤ちゃんは無事でした。だから口を酸っぱくして、
「妊娠しているからといってシートベルトを外してはいけませんよ」と言っています。
したがって階段から落ちたくらいで流産はしません。「マッサン」の視聴率は北海道ではほとんど毎週トップです。社会的な影響力はバカに出来ません。そこで妊婦さん達が階段を利用できなくなるのではないかと心配になりました。そのことを更年期の患者さんに話したところ、
「あんなことで流産なんかしないわよって、みんな言ってますよ」
取り越し苦労でした。
次はエリーの貧血。医師はまたしても深刻な顔をしてマッサンに言います。
「奥さんは、もともと貧血があったようで、普段の生活には差し支えありませんが、もしお産になったとしても母体の命が危険でした。ですから今後、赤ちゃんを望むのはあきらめてください」
何年か前、子宮筋腫のため妊娠初期からけっこうな貧血だった妊婦さんが、貧血の治療をしながら無事にお産にたどり着きました。ふつうは妊娠がすすむにつれ貧血も進行しますが、このお母さんは鉄剤のため、お産が近づくにつれ顔色も良くなりました。
スコットランドの郷土料理に「ハギス」という羊の内臓の詰め物(プディング)があります。国際的な評判は今一つというか最悪で、「イギリスに行ったらハギスを食べさせられるのが心配だ」と言わしめるほどです。しかし、鉄分豊富で貧血の人には最適です。エリーもスコットランドに戻ってハギスで養生すれば良いのにと思ったことでした。
第155回 忙酔敬語 エリーの流産