院長ブログ カーブ

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第82回 忙酔敬語 ヒナ菊

一生懸命に生きているのになかかな報われない女性がいます。たまに漢方薬を処方するだけで治療はカウンセリング中心です。そんな彼女に「一生懸命に生きていること自体が美しいことなんだよ」と言いたくて、アンデルセン童話の『ヒナ菊』を読むように薦めました。診療が終わり患者さんが帰った後に「しまった!」と思いました。そして次回に患者さんが受診したときに「『ヒナ菊』、読みましたか?」と聞いたところ、すまなそうに「まだです」と言うので、「ああ、良かった。読まなくてもいいですからね」と言いました。患者さんは不思議そうな顔をしていましたが、自分でも思いつきで診療をしているようで申し訳なくなりました。以下『ヒナ菊』のダイジェスト。
庭の片隅にヒナ菊が咲きました。彼女はとても気立ての良い花で、花壇の美しいバラやチューリップに対しても羨むことはなく、お日様や風に感謝しながら咲いていました。彼女はヒバリに恋をいだきます。ヒバリは楽しそうに鳴きながら自由に空を飛び、ときどき庭先に降りてはヒナ菊のそばまで近づいたりします。しかし、彼女の思いはヒバリには届きません。それでもヒナ菊は満足していました。ある日、ヒバリが子供達に捕まり鳥かごに入れられてしまいました。子供達はヒバリに草をやろうとヒナ菊のまわりの芝を掘り起こしました。ヒナ菊も芝と一緒に掘り起こされ鳥かごに入れられてしまいました(これだけがこの物語の救いですね)。その後、子供達は鳥かごに水を入れることを思いつかなかったため、ヒバリは喉が渇き苦しんで鳴きさけびました。ヒナ菊は「ヒバリさん、頑張って」とけんめいに励ましましたが、花なので声は出せず、ヒバリはヒナ菊の励ましには最期まで気づかずに死んでしまいました。子供達は泣きながらヒバリをきれいな箱に入れて土に埋めました。一方のヒナ菊はゴミ箱に捨てられてしまいました。
どうです。救われない話でしょ。何でこんな童話を患者さんに薦めたかというと、本の解説に「たとえ報われなくてもヒナ菊の優しい心根それ自体が美しく価値がある」みたいなことが書かれていたからです。私がそれを読んだのは中学生になったばかりのことでした。「何でアンデルセンはこんな哀れな話を書いたのだろう」と暗い気分になりました。しかし、この物語の解説を読んで納得しました。だから『ヒナ菊』を読む場合はこの解説のある本で読まなければ意味がないのです。その後、50年近くも『ヒナ菊』は読んでいません。でもインパクトがあったんでしょうね。心に深く残りました。
先日、その記憶が本当に正しいのか、『ヒナ菊』が掲載されている『少年少女世界名作文学』(小学館)を調べに妹の家に行きました。古びた本の中には確かに『ヒナ菊』の物語と「解説」がありました。そしてやはりこの「解説」がないとダメだなと思いました。別の本では「生き物を大切にしなくてはイケマセン」的な解説もあるからです。また、童話の翻訳なので本によっては内容も微妙に違います。『少年少女世界名作文学』には、それこそ少年少女が理解できる範囲の世界中の文学が掲載されていて(日本編にはバカバカしい作品もあります)、あの頃に幅広く各国の文学作品に触れることができて良かったと、今でも親に感謝しています。
今回は、患者さんへ考えもなしにテキトーに本を薦めたことから始まり、子供のときに広く世界中の文学作品にふれるのは良いことだなんて居直り、いつにも増してシッチャカメッテャカなブログとなってしまいました。