院長ブログ カーブ

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第49回 忙酔敬語 ゆく年くる年平和への祈り

大晦日は例年どおり当直です。お産がなければ、医局で大画面のテレビを見てノンビリ過ごすつもりです。今年もいろいろな事がありました。とくに著名人の訃報が目立ちました。なかでも作家の丸谷才一さんが、87歳で原稿を書いている途中で亡くなられたのが印象に残りました。この年まで現役で、しかも「茶色い戦争ありました」という短編を書き上げたばかりだというから、ただただ感心するばかりです。
丸谷さんの文章は旧仮名遣いで、「なんと意固地な人なんだろう」と毛嫌いしていました。今年の春過ぎに紀伊國屋書店で何気なく文春文庫の『人形のBWH』というエッセイ集を手に取ると、裏表紙に「読み出したら止まらない愉楽のエッセイ17編、作者が『これほど力をこめて書いた悪口書評はなかった。自信作です』と言う異色の一遍『わがミシュラン』も収録」と書いてあるので思わず買ってしまいました。内容は実に自由奔放で、話題があっちに飛んだりこっちに飛んだりしていました。『わがミシュラン』でも「もう来てもらひたくないお客のなかには、その筋のお兄さんや親分もゐるでせう?」と旧仮名遣いでしたが、慣れると「っ」とか「ょ」といった小さな活字がないので老眼の目にはラクでした。けして意固地なわけではなく、新仮名遣いに縛られないという自由な発想で旧仮名遣いをしていたんだなと思いました。『戦国時代の心理学』では大いに脱線して、池波正太郎の『真田太平記』を絶賛していたので、さっそく新琴似図書館で借りて1か月以上もかかって読みました。文庫本にすると12冊にもなる大長編でしたが、人物が生き生きとしていて血湧き肉躍り、初夏のひとときを楽しむことができました。
丸谷さんが亡くなられてから、『思考のレッスン』と『ゴシップ的日本語論』も買ってみました。『思考のレッスン』はQ&A方式で書かれていて、しかも新仮名遣いなので丸谷さんの入門書としてベストチョイスだと思います。丸谷さんは早熟な方で十代の半ばで不思議でどうしても分からないことが二つあったそうです。一つは「なぜ日本はこういう愚劣な戦争を始めてしまったか」ということ、もう一つは「日本の小説は、なぜこんなに景気が悪いことばかりを扱うんだろう」ということでした。志賀直哉に対しても「ほんとにいやなことを書いて相手を不快にするという精神で書いてある」と手厳しく評していました。そういえば丸谷さんのスナップ写真はどれもニコニコしていてネアカな人柄がうかがわれます。戦争に対する憎悪は二歳年上の司馬遼太郎さんも同様で、昔、お二人の対談のなかで司馬さんが「戦争になったらすぐ降伏をするという大人の精神が大切ですね。戦争になれば100万人死にます。レジスタンスでも10万人は死にます」と語っていました。
これには目に鱗でした。まるで『イワンの馬鹿』の世界です。こんな事があったらその国の文化はどうなるのでしょうか。ここで思い浮かんだのが中国の漢民族です。中国は古代から様々な異民族に攻められ、モンゴルに征服されては「元」となり、満州族に征服されては「清」となりました。モンゴルも満州族もそれぞれ独自の文字を持ってはいましたが、漢字にはかなわず、結局、漢民族は滅びませんでした。それどころか「清」の時代には弁髪を強要されたりしましたが人口は二倍になり、世界各国でも華僑として存在感を示しています。華僑の人々は国境に対するこだわりはありませんが、中華料理でも分かるように根強い文化を保持しています。お産にたずさわる人間として、戦争によって人の命が失われるほど空しいことはありません。心から世界の平和を祈るしだいです。