「梅ちゃん先生ってけっこう面白いよ」と言うと「堀北真希ちゃん、可愛いですからね」と言われます。それもそうですが梅ちゃん先生は私の母と同じ昭和4年生まれで、ノスタルジーを感じるのです。私が幼い時にお世話になったお医者さん達のことが思い出されます。しかし、現在の梅ちゃん先生が母のようになっていると想像するとおぞましいかぎりですが、私の良導絡鍼治療の師匠である中根敏得先生が溌剌と頑張っておられるのが救いです。中根先生御自身も「梅ちゃん先生と私は同世代です」と言っておられます。ドラマの開始当時は3人の兄弟が、松竹梅から長女が松子、長男が竹夫、そして梅子で、「安直な脚本だな」と反発を覚えてチラッとしか見ていませんでしたが、意外にしっかりとした内容なので、すっかりのめり込んでしまいました。
ちなみに「平清盛」の脚本、あれはダメですね。当時の武士や社会の様子は「今昔物語」や「平家物語」を読めば分かるように、もっと颯爽としていて、人間関係でネチネチ悩むことはなかったはずです。あれよあれよという間にストーリーが展開すると期待していたのですが残念です。松山ケンイチがかわいそうです。余談終わり。
私は小樽生まれで小学生になる前まで小樽に住んでいました。熱を出すと、梅ちゃん先生のお父さんにあたる年代の今井先生の診療所に連れて行かれたり、往診してもらったりしていました。風邪の時の注射は痛くなかったのに対して、腹痛時の注射は痛かったのを覚えています。熱の注射はアスピリンかメチロンで、腹痛の注射はブスコパンだったのでしょう。当時はお医者さんが直々に注射をしてくれて、今井先生の注射はブスコパン以外は痛くないので安心でした。父の転勤のため、東京タワーが出来た頃に東京の郊外に引っ越しました。それからは開業したばかりの美穂先生にお世話になることになりました。当時としては珍しい女性の先生で、おまけに美人で独身でした。梅ちゃん先生と同年代だと思います。ベテランの今井先生と比べるとちょっと頼りなく、注射も痛く感じました。熱が長引くとペニシリンの注射をお尻に打たれました。当時のペニシリンの注射液は混濁液で、したがって注射針も太かったのですが、それほど痛みは感じませんでした。その一発で熱はどんどん下がりました。今思えば肺炎か気管支炎だったのでしょう。けっこうやばかったと思いますが、細菌も無垢で、ペニシリンの一発でしとめられたようです。小学2年生の時、喉が痛くて美穂先生の診療所に一人で受診したことがありました。喉の処置を涙を溜めて懸命に堪えたところ、美穂先生は「敬夫ちゃんっ、よく頑張ったわね」と言って抱きしめてくれました。甘酸っぱい思い出です。
さて、ドラマでは怪しい町医者として、世良公則さんが登場します。その坂田医師は梅ちゃん先生に「できたら、ペニシリンやアセトアミノフェンを回してくれないか」と頼みます。「へえっ、アセトアミノフェンは60年近くも前から使われていたんだ」とビックリでした。アセトアミノフェンは現在でも解熱剤として売薬の風邪薬にも広く使われています。小児用のアンヒバ座薬も解熱鎮痛薬のカロナールもアセトアミノフェンです。最近、アセトアミノフェンは安全な薬として見直され、癌性疼痛の第一選択としても奨励されるようになりました。妊婦さんの頭痛にも使えるので、「梅ちゃん先生でも出てきた薬で安全ですよ」と説明しても、ほとんどのお母さんは「梅ちゃん先生」を見ていないので残念です。
第31回 忙酔敬語 梅ちゃん先生