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第294回 忙酔敬語 インパール作戦と失敗学、そして「空気」 

8月15日の終戦の日(終戦記念日と言われるほうが多いようですが、記念日という言葉にはメデタイというニュアンスが感じられ、ましてや敗戦ですからしっくり来ません)に放映されたNHKスペシャルの『戦慄の記録インパール』は凄かった。
辛気くさい話は好きではないので、番組表を見たときは気が進みませんでしたが、ときかく観て良かった。NHKの取材力に感服しました。
「インパール作戦」とは1944年3月から7月に敢行された史上最悪と言われた作戦でした。大戦早々に日本陸軍はイギリス領ビルマ(現ミャンマー)を占領しましたが、1943年から山岳地帯に強いグルカ兵を交えたイギリス軍の奪回作戦に悩まされるようになりました。そこではイギリス軍の拠点であるインド東北部のインパールを堕とそうと10万近くの兵を差し向けましたが、大河を渡り道なき山岳地帯を重機を背負って進軍しているうちに雨期にも悩まされ大した戦果をあげる前に力尽き、3万の犠牲者を出しました。原因のほとんどは餓死と病死です。
番組ではオロカな司令官の下で働いた若い少尉の記録がチラホラ紹介されていました。内部から見た貴重な資料です。少尉も作戦の最後にはマラリアで重体になりますが、番組の流れとして生き残ったのではないかと予感がしました。はたして最後に96歳の点滴をして車椅子に座った姿で登場しました。「分かってしまいましたか‥‥‥」と苦笑いしました。それまで作戦について人に語ることはなかったそうです。そして号泣しました。
インパール作戦はさまに失敗ですが、そもそも戦争を始めたことが失敗で、この作戦ばかりをとやかく言ってもしかたありません。
失敗の原因を客観的に分析する「失敗学」という学問があります。失敗の責任追及にとどまらず、根幹的な背景まで広げて、失敗をくり返さないことを目的としています。その方法として「失敗学」の創始者である畑村洋太郎先生は、失敗の記録を残すことが大事、と主張しています。JALでは1985年の史上最大の墜落事故の教訓として、残された機体を展示していますが、畑村先生は高く評価していました。このNHKの番組もそういう意味で、時々再放送するべきだと思いました。
しかし、これだけで良いのか? と不安は拭いきれませんでした。インパール作戦の敢行について、客観的な視点から当時も反対する幹部はいました。どうしてそれがことごとく無視されたのでしょう。どうみても敗戦は明らかなのに変な方向に突っ走ってしまったのは、時代の「空気」だったようです。大和魂だ、玉砕だ、といった正気の沙汰とは思えない状況に対して、マスコミも含めてほとんどの人の目がふさがれていました。
そして現在の日本人もその「空気」に支配されています。我が領域に関しても頸がんワクチンがそうです。「空気」が原因で敢行できないと考えています。
インフラの巨人、後藤新平は「空気」が読めない人でした。関東大震災後の東京を復興させた業績は有名です。その他に台湾のインフラにも多大な貢献をしたため、いまだに台湾の人々から慕われています。しかし、動機はヒューマニズムではなく、生物的な視点から見た合理的な方法にのっとっただけです。「空気」が読めない後藤新平が成功したのは、児玉源太郎という「空気」が読める大物政治家のバックアップがあったからです。
この「空気」を何とかしなければまだまだ日本は危ないな、と思ったことでした。