院長ブログ カーブ

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第281回 忙酔敬語 なぜ進化なんかしてしまったのか?

BSプレミアム『ワイルドライフ』やNHK『ダーウィンが来た!』を見ていると、たいてい動物たちの縄張り争いとか恋の季節が紹介されます。
我らが人類をかんがみるに、つくづく「こいつらと変わってないなあ」と溜め息が出てきます。日ごろ、平和について考察してきましたが、国際紛争は縄張り争いと同じです。どうも人間の性(さが)なようで、これからも永遠に絶対的な平和なんかないぞ、と虚無感に襲われるようになりました。
動物の恋の季節に関しても、喜ばしいこととして放映されていますが、人間の世界においては喜ばしくないことが多々あり、政治生命を絶たれた議員もいる始末です。
当院では更年期障害に対して、ホルモン補充療法のみならず、患者さんの家族背景や仕事場でのストレスなどについても考慮しながら診療しています。
そんな患者さんのなかには、恋愛関係がドロドロ状態になって終始がつかなくなってしまった、まことに気の毒な人もいます。恋の季節どころではありません。
私は、性に関しては精神的に早熟で、幼いころから常に心に秘めた女の子が存在していました。父は転勤族で、そのため幼稚園のときに1回、小学校は2回転校しました。そしてその度に心に秘めた女の子は変わりました。以前に好きだった子のことはすぐに忘れ、新しいクラスの子に恋をしました。ただし、デブで自信が無かったので告ることはなく、毎晩、その子のことを思い浮かべながら寝に入っていました。ただし恥を知らない3歳のときは例外で、サエちゃんが好きだ!とカミングアウトしたそうです。
単純に計算すると、四、五十人に一人はタイプの子がいるわけで、世界で君が一番好き、だなんて言葉は嘘くさく感じていました。ですから中学生になってまわりの連中が色気づきモジモジする様子を滑稽に思ったことでした。
昆虫の中には鳥などの外敵から身を守るために、擬態といって木の葉や枝にそっくりな姿に進化した種がします。また、ハナカマキリのように花に擬態して飛んできた蝶を捕まえる卑怯な虫もいます。
テレビ番組では、大したもんだ的な解説をしていますが、すべての生物がマヌケのままだったらそんな苦労はしなくていいワケで、つくづく進化というのは余計なことだなあと考え込んでしまいます。
昔は人間が進化のなれの果てというか、生物のトップとして教えられました。私の高校はミッション系なのでとくにその傾向が顕著で、採用された倫理の教科書には植物は動物に食べられても、しかたがないと納得しているとか、動物も人間に食べられることを納得していると書いてありました。さすがに担当の先生はノータッチでしたけど。
動物は植物よりも高等だと考えられていたのですが、進化の過程をみると植物と動物の進化は同時進行であることは明らかです。私が高校生の時は生物は植物界と動物界の2つに分類されていましたが、当時の学会ではすでにそれは古い説で、モネラ界、原生生物界、菌界、植物界、動物界の5界説が有力でした。その後、6界説、3ドメイン説と、分類学も進化し、かって生物学好きだった私にも何が何だか分からなっています。
進化の必然性は頭では理解しているのですが、あさましい争いを見ていると、バクテリアの段階でストップして欲しかった、と思う今日この頃です。