院長ブログ カーブ

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第264回 忙酔敬語 マリア・テルジアとペチコート同盟

現在、世界の各国で女性の指導者が活躍していますが、18世紀のヨーロッパでも大活躍していた時代がありました。
オーストリア・ハプスブルク家の女帝マリア・テルジアは、宿敵プロイセン王国フリードリヒ2世(大王)に対する包囲網を形成してあと一歩まで追い詰めました。同盟国はフランスとロシア。当時のフランスの実力者はルイ15世の公娼ポンパドゥール夫人、ロシアの皇帝はエリザヴェータでした。3人の女性が同盟をむすんだため「3枚のペチコート作戦」と言われました。
マリア・テルジアは万能の女性でした。
恋愛では初恋のフランツと結婚して16人の子を産みました。そしてフランツの最期まで添い遂げ、フランツの亡くなった後は生涯、喪服で通しました。フリードリヒ大王との戦争中も、ほとんど妊娠中か赤子を抱いている計算になります。
政治、外交に関しても抜群のセンスがあり、当時、女性と侮ったヨーロッパ各国にしかけられたオーストリア継承戦争で確固たる存在感を示しました。軍備や病院の施設など、オーストリアの近代化に貢献しました。
文化にも造詣が深く、その象徴がシェーンブルン宮殿です。完成させるために財政を圧迫させましたが、現在はオーストリアの主要な観光源となっていて、長い目で見れば黒字です。この辺はバイエルン国王ルードヴィヒ2世のノイシュヴァンシュタイン城を彷彿とさせますが、マリア・テルジアの方が圧倒的なスケールです。ひいきの音楽家をとってもルードヴィヒ2世はヴァーグナー、マリア・テルジアはモーツァルトと格が違います。時代も違うからどうしようもないですけどね‥‥‥。
こう書いていると、夫のフランツはたんなる種馬みたいですが、どうしてどうして、経済に明るくお金儲けが上手で財政面で妻を支えていました。いうなれば夫婦の役割が入れ替わったようなものです。
子供達の教育にも大いに気を使いましたが、いくら頑張っても素材がパッとしなければ限界があります。フランスのルイ16世に嫁いだマリー・アントワーネットが典型でしょう。さらに跡継ぎのヨーゼフ2世は、何と宿敵フリード大王の崇拝者でした。強い父親象にあこがれたのでしょうか。
ロシアのエリザヴェータの跡継ぎのピョートル3世もフリードリヒ大王の崇拝者で、こっちは度が過ぎて、ロシア皇帝にもかかわらずドイツ語ばかり話していたそうです。ペチコート同盟が破綻したのも、エリザヴェータが急死してピョートル3世がプロイセンから軍を引きあげたのが原因でした。
かく申す私も、高校で世界史を習ったとき、フリードリヒ大王の崇拝者となり、マリア・テルジアに対しては、女のくせに生意気だ、と反感をいだきました。すぐれた女性に対する反感は根深いものがあり、幼少のみぎりから、サーカスの女曲芸師の凄技に対しても、こん畜生!ナイチンゲールやキュリー夫人にも生意気な!と思っていました。多分、父親の影響かもしれません。親父は常々「女なんかに負けて」と私をどやしつけていました。
しかし、成長して大人になり、世間を知るようになってからは、優秀な女性には素直に尊敬の意を表するため、こういった女性にけっこうもててます。本当かなあ‥‥‥?