院長ブログ カーブ

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第250回 忙酔敬語 先生はいてくれるだけで良いんです

妊娠34週の切迫早産で入院していた妊婦さんがいました。入院して3週間頑張っていました。ところが陣痛抑制剤の点滴を極量近くまで上げても治まりのつかない陣痛が始まり、T病院に搬送することとなりました。妊娠34週にもなれば赤ちゃんは無事に育ちます。ただし呼吸状態など24時間赤ちゃんを診てくれる体制が必要です。残念ながら当院ではマンパワー不足でそこまで管理はできません。あと2週間、妊娠36週になれば何とかお世話できるのに残念なことでした。
T病院の産科の当番の先生に電話でお願いしたところ、こころよく引き受けてくださいました。さっそく救急車を呼んで、私の他に助産師のIさんが同乗しました。
出発直前、お母さんの子宮口はほぼ全開。経産婦さんなので破水でもしたら救急車の中でお産になりそうでした。分娩セットを用意して救急車に乗り込みました。この判断はすべて助産師Iさんのしたことです。私はただT病院に要請しただけ。
救急車の中でも陣痛は治まらず、お母さんはうめき声をあげ始めました。Iさんはてきぱきと妊婦さんのズボンを脱がせ、腰にお産用のシートを差し入れました。そして時々ショーツを下げては出血や破水がないかどうかを確認しました。
救急車というのは、クッションの効きが悪くスピードを上げるとガタガタして、けして乗り心地の良いものではありません。しかし、救急車の中で産まれては大変と、運転手さんはいつになくぶっ飛ばしました。道路の状態によっては車はドシンと飛び上がります。
「あと5分で着きますからね」
救命救急師さんが励ましました。
Iさんは腰をさすります。
私はIさんにそっとつぶやきました。
「産婦の精神的な緊張が高まると交感神経が働いて陣痛は弱くなるんだよ」
私の大学院生のときのテーマは「分娩時における血中カテコールアミンと情緒不安」でした。カテコールアミンにはアドレナリンとノルアドレナリンがあります。アドレナリンは不安に関係が深く、陣痛を抑制する作用もあります。ノルアドレナリンは気分が高揚するときに分泌され分娩を順調に進めます。
要するにリラックスするとお産が順調に進むということの裏付けとなる研究でした。
郷久先生の昔話によると、函館の病院に出張中、分娩中に大地震が起きて職員始め患者さんたちが病院の外に逃げたことがあったそうです。無責任なもので産婦さんはほったらかし。避難してちょっと落ち着いたとき、あれ、あの産婦さんはどうなったんだろうと気づいたら、後ろに当の産婦さんが呆然と立っていた。あまりの恐怖のため陣痛がなくなったのでした。
そんなことを思い出しているうちに救急車は無事到着。急いで分娩室へ。何とか間に合いました。
帰りのタクシーの中で私はIさんに言いました。
「あんたは偉いよ。それにしても俺は役立たずのバカだな」
「そんなことありませんよ。先生はいてくれるだけで良いんです」
けっして嫌みではないだけによけいガックリきました。