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第209回 忙酔敬語 『東京物語』

昨年の暮れ、伝説の大女優、原節子さんを偲んでBSプレミアムで『東京物語』が放映されました。映画通によると映画史上でもトップクラスの映画で、とくに欧米での評価が高いとのこと。以前にもチラッと見たことがありましたが、世界でも特異な文化を持つ日本の、さらに戦後という時代背景で、どこにそんな普遍性があるのかと不思議に思いました。フランスなぞは日本の文化を買いかぶっていて、シラク大統領は黒澤明監督が亡くなったとき弔電をくれたほどです。黒澤監督のアクション映画は妥協がなく確かに分かりやすい。それに対して地味な小津安二郎監督の作品ががどうしてもてはやされるんでしょうか? はたしてそんなに凄い映画なのかなあ、と鵜の目鷹の目で見ました。
その感想はというとサスガ!の一言でした。一見無駄なような画面でも、それによって時間の経過、土地柄などを丹念に描き出し、言葉による説明(セリフは別です。でも何気ない会話で土地柄・時代背景が伝わって来ます)は一切なし。言葉による説明とは『スターウォーズ』の始めの流れるような物語の概略とか、『幕末太陽伝』の冒頭の品川についての解説ようなたぐいです。舐めるように映画を綴っていました。まさに「カ・ン・ト・ク」としての存在感を突きつけられました。かといって別に解説を非難しているわけではありませんよ。とくに石川雄三監督『幕末太陽伝』は日本映画史上ベストファイブに入る傑作だと思います。
『東京物語』の制作は1953年、私がオギャーと生まれた翌年です。
キャスティングはまさに奇跡的で、現在、これらの役者以外に相当するような俳優さんはいません。まずは笠智衆さん。画面上ではどう見ても70歳以上ですが実年齢は49歳。その後も老け役を続けましたが、当時からすでにヨタヨタした足取りで本当に老けて見えました。山田洋次監督は、国宝級の名優、と賞賛していましたが、九州なまりが生涯抜けず、プロともあろう者がセリフ一つ満足に言えない大根役者、と糞味噌に言う批評家もいました。また、九州男児は泣かないものだと、小津監督の演技指導にも抵抗して、この映画のみならず、すべての作品で涙を流さなかったという伝説の頑固者でした。
原節子さんは当時33歳。ちょうど脂ののりきった時期でした。体にも脂がのって二の腕も太く、若い香川京子さんと比べるとウェストの差は歴然としていました。その太い腕で顔をおおって、「わたし、本当はずるいんです」と泣くシーンは、この映画の圧巻です。それに対して、笠智衆は、「そんなことはない、アンタはええ人じゃ」とあくまでもニコニコと対応。長年連れ添った女房に死なれたというのに相変わらず涙一つ出さず、戦死した次男の嫁の行く末を心配していました。この名女優の泣くシーンは、『ひまわり』のソフィア・ローレンと並び称してよいでしょう。原さんはとにかく存在感があり、その顔のアップは大輪の花が咲いたようで、原さん以上に美人な女優さんはいくらでもいますが、原さんに取って代われる人はいません。
『東京物語』を評価するする人はまさに「通」です。こんなことを言ったら怒る人もいるでしょうが『スターウォーズ』は幼稚。「エピソード4」でオビ=ワン・ケノービを演じた名優アレック・ギネスが子供にサインをねだられたとき、「もう、あの映画は見ないと約束だぞ」と言った話は有名です。それにしてはお前も『スターウォーズ』についてイヤにくわしいじゃないか、と言われそうですが、ハイ、実は私も幼稚です。