院長ブログ カーブ

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第194回 忙酔敬語 責任能力

当院を開業して今年でちょうど20年。長かったです。市内のホテルで記念パーティーを行いました。そこで出た日本酒は口当たりが良く、いくらでもスイスイといけて四合くらいも呑んでしまいました。最近は、お酒は心身ともに体に悪いことを実感しているので一人酒はいっさいやらず、宴会でもおいしさを感じなくなった時点でストップすることを心がけてたのに、またしても呑みすぎてしまいました。宴会では挨拶も含めてヒンシュクを買う行為はほとんどしなかったのに(怒られはしませんでしたがギリギリの発言はしました)、マンションに着いてからが問題でした。エレベーターに乗ったとき我が家とは別の階のボタンを押してしまったのです。ドアにカードキーを差し込んでも当然開きません。ガタガタさせているうちに抜けなくなり、中から「誰ですか?」と怯えたような女性の声が聞こえました。そこで、しまった!とようやく気づきました。「すいません。上の階の者です。ちょっと酔っぱらって間違ってお宅のドアにキーを入れたのですが抜けません」
結局、管理人を呼んでキーを引っこ抜いてもらいました。平謝りに謝りましたが、女性は最後まで顔を見せることはありませんでした。
このままでは女性は同じマンションに変な男が住んでいると、不安な日々を過ごすことになるでしょう。いろいろ考えたすえ、数日後、近くの美味しい洋菓子店で名物のロールケーキを購入し、管理人室を訪れ、お詫びをしたいので一緒に行ってくれないかと頼みました。管理人さんが連絡を入れるとさいわいにもOKとのこと。若い女性で、小学生とおぼしき小さい子供が二人、お母さんの後ろで当方を見つめていました。「わざわざご丁寧に」と笑顔を見せてくれました。「さぞかし怖かったでしょう」と言うと「ハイ、怖かったです」。多分、これで一件落着。
さて、本題の責任能力の問題に入ります。酒の上での話だからという言葉がありますが、以上のように言語道断です。酒気おび運転がその最たるもの。酔っぱらっている時点では責任能力は消え失せていますが、呑む前にはあきらかに責任能力はあり、始めからしっかり認識する必要があります。要するにここでストップという自覚を持ちながら呑むということ。こう書いていながらよくも偉そうにと我ながら恥ずかしくなりますが・・・。
凶悪犯罪で、よく精神鑑定が行われます。その結果、精神病などで心神喪失状態と診断されたら責任能力なしということで減刑あるいは極端な例では無罪となってしまいますが、一般市民にとってこれほど迷惑な話はありません。責任能力のない人間ならなおのこと責任能力のある人間よりも再犯率は高いはずです。だって悪いことをしたという自覚がないんですよ。私は死刑制度については反対ですが、一般市民の安全を守るという観点から、完全なる無期懲役は必要だと考えています。現在の無期懲役だと恩赦などでいつかは娑婆にもどってくる可能性があります。死刑よりも無期懲役の方が税金による費用ははるかにかかりますが、人が人を殺す権利は原則としてないと私は考えます。しかし、犯罪を犯す可能性のある人間は完全に隔離して一般市民を守ることは絶対に必要です。いっそのことコロニーでも作って一生働いて生産的に生きてもらってはどうでしょうか。
古代ギリシャでは「無知による悪事」の方が「知っていてやった悪事」よりも罪が重いとされていました。さすが「知」を重んじる時代だと感じ入りました。日本は無知に対してあまりにも甘い。責任についてもっと厳しくのぞむべきと思うしだいです。