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第192回 忙酔敬語 「だって戦争に行きたくないじゃん」

今年はちょうど戦後70年。今後も戦争をしない国にするにはどうするかというテーマで、新聞、テレビなどのマスコミでもさかんに討論されています。
そのなかで、私が一番気に入っているのがある若者の「だって戦争に行きたくないじゃん」という言葉。某国会議員が「自己中心で、極端な利己的な考えに基づく。利己的個人主義がここまで蔓延したのは戦後教育のせいだろうと思うと非常に残念」と文句をたれてブツギをかもしましたが、私は逆に戦後の平和教育がここまで浸透したか、と感じ入りました。どうすれば戦争しないですむだろうかという議論のなかで、これほど分かりやい言葉はありません。とにかく戦争に行かなければよいのです。
共和制ローマ末期の政治家で哲学者でもあるキケロは、「私は最も正しい戦争よりも、最も不公平な平和を好む」と述べています。当時のローマは領土の拡張期で、市民は兵役の義務がありました。そのなかから生まれたのがこの名言です。背景を知れば知るほど説得力があります。しかし、最近の非戦論のなかでこの有名な言葉が出てこないのは不思議なことです。多分、戦争とひきかえに「不公平」というのがネックになっているのでしょう。何かを得るには何かを犠牲にする覚悟がなければうまくいきません。そんなに都合良く何でもかんでもうまくいくわけがありません。反戦運動を見ると不戦の覚悟が今一つあいまいです。実際に戦争をしかけられたらどうするつもりなのか?
ここで思い出したのが司馬遼太郎さんの『日本人を考える 司馬遼太郎対談集』(文春文庫)梅竿忠夫氏との対談です。
〈戦争をしかけられたらどうするか。すぐに降伏すればいいんです。戦争をやれば百万人は死ぬでしょう。レジスタンスをやれば十万人は死にますね。それより無抵抗で、ハイ、持てるだけ持っていってください。といえるだけの生産力を持っていればすむことでしょう。向こうが占領して住みついたら、これに同化しちゃえばいい。それくらい柔軟な社会をつくることが、われわれの社会の目的じゃないですか〉
これってトルストイの寓話『イワンの馬鹿』のパクリかもしれません。法橋和彦氏の新訳(未知谷 2012)の抜粋を紹介します。
〈イワンの王国へタラカン王が戦争をしかけてきます。タラカン王の兵士たちは行軍をしましたが、イワンの国には軍隊の影も見あたりません。見かけるのはただの住民で・・・。手向かうどころか、何でも差し出し、あげくにはこちらで暮らすようにと誘ってくれるのです。「ねえ、あんたら、まあ、かわいそうに。あんたらの方は暮らし向きが良くないのなら、こちらへ引っ越されてはどうです。ご一緒に住もうじゃありませんか」と誰もが声をかけてくるのです。兵士たちは戦意を失いかけますが、タラカン王は激怒して、兵士たちに命じて村を荒らし、家を壊し、穀物を焼きはらい、家畜も屠殺させました。馬鹿たち(イワン王の国民)は誰ひとり手向かいません。年寄りから小さい子供たちまでただひたすら泣くばかりです。村人たちは泣きながら「なんのためにあんたがたはわしらをいじめなさるのか? 何ゆえに大切な冨を無駄になさるのか? もしお入りようなら自由にお取りくださればよいものを」と口々に嘆きます。兵士たちは自分が忌まわしく思えてきました。ある日、すべての軍隊が進軍するのをやめて、みるみるうちに解散してしまいました〉
ここまでハラをすえなければ世界平和は望めないでしょう。