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第144回 忙酔敬語 女神散について

女神散という漢方は不思議な薬です。ツムラの効能・効果には「のぼせとめまいのある次の諸病:産前産後の神経症、月経不順、血の道症」と書いてあります。
この薬はもともと安栄湯といって、「軍人が戦争が始まる時になるとのぼせて気がイライラと落ち着きがなくなる、あるいは切り合って血が出てめまいがしたりする時に使う」男性のための処方でした。
そうすると女性が子宮出血がひどくて貧血となりめまいがする時に使えるわけで、浅田宗伯は女性のための薬という意味をこめて女神散と命名しました。浅田宗伯は「世に称する実母散、婦王湯、清心湯など皆一類の薬なり」と書いています。
実母散は江戸時代から婦人薬として知られています。そして確かに構成生薬は女神散とよく似ています。しかし、浅田宗伯はどうして軍人が服用した安栄湯を女性に使うことを思いついたのでしょう。いろいろ考えているうちに次のようなエピソードを思いつきました。単なる口から出まかせですから真に受けないでくださいね。
浅田宗伯は1815年生まれの信濃出身の漢方医で、幕末に御典医としてフランス公使のロッシュの難病を治したり、明治になってからは宮内省侍医となり大正天皇が幼少のみぎりに生命の危機を救ったことで知られる名医です。しかし幕末や明治初期の内乱に参加したしたという記録はありません。
かたや松本良順。1832年、江戸に生まれました。もともとは蘭医でしたが幕医の松本家の養子になる際、漢方のにわか勉強をしました(この辺の事情は司馬遼太郎『胡蝶の夢』に面白可笑しく描かれています)。剛胆な性格で、幕府の従軍医師として付き合わされました。敗戦後、倒幕軍に捕獲されて投獄されますが、山県有朋に見込まれて初代の陸軍軍医総監となりました。
ここまでは本当の話。これからは出まかせです。
「おや、良順さん、今度の長州の戦、大変だったねえ。でもまあ、あんたが無事でなによりだよ」
「実は宗伯先生、そのことで先生にお願いがあってうかがいました。旗本のヤツら、まったく意気地がなくて、奇兵隊とかいって百姓の寄せ集めにさんざんやられる始末でさあ。こんな女の腐ったようなヤツらとはもう付き合いたくないんですがね、義父が『こんな事ではいかん。松永弾正の秘方に肝っ玉を太くする処方があるらしいがワシは知らん。宗伯先生ならご存じのはずだから教えを請うてまいれ』って言うんです。まことに恐れ入りますがよろしくお願いしますよ」
「ああ、安栄湯のことだね。秘方というが実母散みたいなもんだよ。この書物に書いてあるから持って行きなさい」
良順はお礼を言って、その後、鳥羽伏見の戦いで旗本に飲ませてみたところ、意外や意外、勇ましい戦いぶりをみせました。しかし、錦の御旗を見た将軍が真っ先に逃げてしまったため、結局は負け戦となりました。
明治になると政府の方針で漢方はすたれ、宗伯先生もあがったりで浅田飴などでしのいでいました。「そう言えば、良順め、女の腐ったようなヤツらと申しておったな。では腐った女に使ってみよう」てなワケで安栄湯が女神散となったのでした。