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第635回 忙酔敬語 平安時代を考える

 大河ドラマ『光る君へ』を楽しんでいます。もともと恋愛には興味がないので『源氏物語』を読みたいと思ったこともありませんでした。しかしながらBSの『英雄たちの選択』で「藤原道長」の再々放送を見てから平安時代に興味を抱くようになり、おのずから道長の登場する『光る君へ』を見るようになりました。

 「この世をば我が物と思う望月の欠けたる所のなしと思えば」という有名な傲慢きわまる歌は、道長の日記にはなく、藤原実質(さねすけ)という筆まめの貴族が、「アイツあんな歌を詠んだ」と書き残したもので、本当に道長が詠んだかどうかは分かっていないということです。ちなみに道長の日記は、それまでの世界史上これほど緻密に書かれた自筆(写本ではない)の記録はなく、国宝かつユネスコ世界遺産となっています。書き直した筆遣いなどから書いた当時の道長の心の有り様まで手に取るように分かるのだそうです。

 平安時代には死刑制度はなく、残された文学も女性による物がきわだっているため、女性的なナヨナヨした時代を思い浮かべがちですが、とんでもありません。法律が不備なだけで地方は無法状態でした。教科書的な事件だけでも「平将門の乱」、「前九年の戦い」、「後三年の戦い」など枚挙にいとまはなく、最後は「源平合戦」という全日本を舞台にした大戦争で幕を閉じました。

 今に残る源平合戦時代の日本刀はすでに完成度が高く、甲冑も贅をつくしており、当時の武士がかなりの経済力を持っていたことは明白です。いきなり武士が湧いて出てきたような印象を受けますが、貴族と違って小まめに記録を残すという習慣がないので資料が乏しいだけです。貴族の荘園を管理しているうちに自分の土地も所有して実力を蓄えたのだろうと考えられます。

 その辺の雰囲気を知る手がかりとなるのが『今昔物語』です。『今昔物語』にはインド、中国、日本(本朝)の説話が幅広く掲載され、本朝編は仏法編と世俗編と分かれており、世俗編には下級貴族、武士、庶民の生活がいきいきと描かれています。芥川龍之介の『芋粥』のもととなった話には、宴会の食べ残りの芋粥を「こんな美味い物を腹一杯たべたいものだ」と言った下級官吏に、「俺がいくらでもご馳走するよ」と地方出の将軍が招待し、ビックり仰天するほどの山芋を集めたことが記されていて、当時の豪族の勢いがうかがい知れます。その他、旅の途中にムラムラした男が、道ばたの畑にあったカブに穴を開けてマスターベーションをして、それを食べた娘が妊娠したとか、ヘンテコな話が満載です。

 藤原道長の時代は平安時代の最盛期で、荘園からのあがりも上々でした。道長は金離れの良い男で、それらを惜しみなくばらまいたので、女官をはじめ宮中の人たちの人気を集め、最高権力を獲得しました。けして威張るところはなく人当たりも良かったようで、藤原実質のように冷めた目の貴族でも好意を持っているようでした。紫式部の才能に目をつけて高価な紙に壮大な物語を書かせるようなパトロンとなりました。  平安の生活様式は現代とは肌合いが違い、室町時代から畳や書院造りなどが普及して現在に近い雰囲気になったと言われていますが、そもそもわれらが北海道民は瓦や障子などには縁がうすく、この説はしっくり来ません。天皇制とばらまき政治は脈々と続いており、日本人は変わってはいないという考えに賛成です。ただし、『光の君へ』を見ても分かるように、食べ物は美味そうではなく、この点は江戸時代に軍配が上がります。