佐野理事長ブログ カーブ

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第634回 忙酔敬語 パー子の真実

 一昨年、北海道医師会から長年勤務のご褒美にパーカーの万年筆をプレゼントされました。安物のボールペンと違って書き心地が良く、悪筆が達筆になったと錯覚して、これからは事務のおネエ様たちに迷惑をかけないぞ、と張りきりましたが、この万年筆がなかなか言うことをきかない。書いているうちにインクの出が悪くなり、ボールペンにバトンタッチする日々を送っています。性悪女みたいなので「パー子」と呼んでいます。このパー子、昨年の春に手から滑り落ち、ペン先が床に直角に激突してダメになりました。セントラル大丸の万年筆売り場で相談したら、万年筆はペン先が命、イギリスに送って替えなければならないとのこと。その費用はなんと2万円以上!万年筆をもらったとき、その値段をネットで調べてみたら2万するかしないかだったので、いっそのことパー子とは縁を切ろうとか思いましたが、提示したパー子は5万円以上のお値打ち物ということで、縁をきるのはやめました。3週間ほどしてパー子は退院しました。ペン先を替えたのだから言うことをきくようになったかな、と期待しましたが、やはり性悪のままでした。しかし、正式な証明書はペン先を水で濡らしてティッシュでインクを吸って機嫌を取りながら使っています。もっともカルテも正式な書類ですけどね。

 開院当初、電子カルテにしようかという案がでたとき、その辺のことに詳しい和田が、ローテクの郷久先生と私を見限って「やめとけ、やめとけ」と言うので、とうとう今日まで手書きカルテとなっています。コンピューターが得意な和田は、昭和の終わりに札幌医大産婦人科で初めてワープロで博士論文を書きました。また、統計にも詳しいので、先輩の医局員から「なあ和田、頼むよ」とさかんにデーターの処理を依頼され、「オレは統計屋じゃないんだぞ」とまんざらでもなさそうに、けして断ることはありませんでした。

 その影響で、郷久先生も私も50万円もするでかいパソコンを購入しました。私は郷久先生のもとで和田よりも4年早く博士論文を書きましたが、先輩たちがボーペンで原稿を書いて、しくじったり書き直しを命じられて、あらためて原稿用紙に向かう姿を見て、「アホらしい」と、まず鉛筆で原稿を書き、必要に応じて消しゴムで修正し、それをコピーして提出したので、書き始めて3週間ほどでほぼ書き上げてしまい、郷久先生に「早いね、それに論文の形式になっているよ!」とほめられました。

 晴朗院長も水柿先生も、当院に来るまでは電カルを駆使していました。それが2人のロートルのせいで手書きカルテにつき合わされることになり、まことに心苦しいと思っています。郷久先生は達筆ですが、私の悪筆は折り紙つきで、紹介状を書いても「よく読めませんでした」と返事が来たこともあります。きわめつきは20年ほど前、北大の産科の教授に就任したばかりの水上尚典先生に挨拶したときで、「ああ、あの汚い字を書く先生か、もっと読める字を書いてくださいよ」とズバリ言われ、汗が出ました。さすがに数か月はできるだけ丁寧に紹介状を書きましたが、じきに本性が現れ、もとの木阿弥となりました。

 ここで思い出したのが、明治天皇のお歌です。

 うるしくあるかあらねどただ文字は読みやすくこそあらまほしけれ

 まことにもって、その通りであります。