院長ブログ カーブ

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第523回 忙酔敬語 テルルン

 山根千佳さんは島根県出身で熱烈な照ノ富士ファンです(相撲の強豪島根城北高校留学)。照ノ富士のことをテルルと呼んでいます。照ノ富士が大関に返り咲く前に、HNKニュースのスポーツコーナーにオファーされて照ノ富士が寄り切られたのを解説しました。

 「ここで無理しないのがテルルの進歩した証拠です。ふんばると膝に負担がかかり膝の状態が悪化するかもしれないので、15日間戦えるようにあえて土俵の外に出たんです」

 おチャラっぽいおネエちゃんの意外な深読みに感心しました。私も照ノ富士ファンなので、以後テルルンと言うようになりました。本当はテルルと言ったらしいのですが、私にはテルルンと聞こえ、またこの方が可愛らしいのでテルルンでおし通しています。 

 テルルンは23歳で幕の内優勝をはたして大関になりました。その頃の相撲は豪快で力任せ。解説の北の富士さんも「強引だけど面白いね」と言っていました。私はその豪快さが好きでした。しかし師匠の伊勢ヶ濱親方は強引さがあだとなっていずれケガをすると危ぶんでいました。「イケイケ」のテルルンは聞く耳を持たずやはり両膝の大ケガをしました。それも親方の予想をはるかに上回り、さらに無茶な生活と体質がたたって重度の糖尿病となり、いくら稽古をしても筋力は衰えるばかりでした。さらにさらにモンゴルの国民病ともいえるC型肝炎にまでなり廃人寸前となりました。

 テルルンは人間関係に恵まれていました。モンゴルから日本に留学していた奥さんと結婚しましたが、奥さんは歩くことも出来なくなった奈落の底のテルルンを支え続けました。伊勢ヶ濱親方はいくらテルルンが「もう引退したい」と言っても「とにかく病気を治せ」の一点張り。現在、土俵下で恐い顔をして審判長を務めていますが、あんな感じで頑固者です。そう言えばテルルンは遠藤との相撲で髷をつかんだと反則負けをくらいましたが、土俵下から協議している親方を不安そうにチラチラ見る目が可愛らしかったですね。

 テルルンの人間関係はもちろん本人の人間性のたまものです。明るく人なつっこさに加えて頭が良く、モンゴルにいたときは学業優秀で飛び級までしています。また、経営者としての才能もあり、16歳のときにスケート場を経営して利益をあげています。相撲がダメでも何かで成功するはずです。

 親方の説得に応じて序二段からの再スタート。このとき人生ではじめて「緊張する」という体験をしました。それまでは、どんな状況でも自信満々で緊張することはなかったとのこと。心臓がドックンドックンして足が地に着かず何がどうなったんだか覚えがない。土俵から降りたとき、以前お世話になった呼び出しの照矢さんを見つけ、「緊張したよー」と叫びました。『奈落の底から見上げた明日』を読んで、こりゃ、とんでもないヤツだ、と心底驚きました。目が泳いでいる日本人の力士がかなうはずがありません。

 その後のアレヨアレヨといった横綱への快進撃はご存じのとおりです。『奈落の底から見た明日』は一応テルルンが書いたことになっていますが、誰が書こうとかまいません。話はそれますが養老孟司先生の『バカの壁』は、実は口述筆記で自分で書いた本ではないと後に養老先生は『遺言。』の中で述べられています。『遺言。』は初めて自分で書いたそうです。糖尿病や両膝の管理はどうなっているんだろうと心配していましたが、テルルンは身銭を切ってトレーナーや内科医、整形外科医など11人の指導のもとで切磋琢磨しています。自己管理能力というのはこういうことだ、と若い横綱から教えられる1冊です。