佐野理事長ブログ カーブ

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第507回 忙酔敬語 慈しみの心

 今年の春、ダライ・ラマ14世が子ども向けに書いたとされる絵本『こころにいつくしみの種をまく』が出版されました。あえて「される」とつけ足したのは、まさか14世自身が絵を描いたとは考えられなかったからです。しかし、内容は『ダライラマ自伝』と同じで、ダライラマの思いを絵で分かりやすくこどもたちへ伝えたかったのがうかがい知れます。ダライラマももう86歳、いくら口をすっぱくして平和を訴えてきたのに世界はこんな状態です。こどもたちに願いをたくしたくなった気持ちはよーく分かります。

 絵本は自伝に忠実なだけに、よけいなこととは思いますが、説明を加えた方が大人にとって理解が深まる部分を2つ紹介します。1つ目は子どもには内緒にした方が無難かも。

 1つ目はダライラマが幼いとき、飢えた漢人の夫婦にダライラマのお母さんが施しをする場面です。女性は何か抱えていますが、あれは死んだ赤ちゃんです。優しいお母さんは「よければ赤ちゃんはこちらで埋葬しましょうか?」と漢人夫婦に申し出ましたが、夫婦は「あとで私たちが食べるからいいです」とショッキングな返事をしました。人食は漢人の伝統的な行為で、斉の桓公が嬰児の料理を所望したり、城攻めにあって飢えれば子どもを交換して食べてしのぐ、という場面が史書にはちょくちょく出てきます。さすがに20世紀にはなかろうと思っていたら、山崎豊子『大地の子』の始めの方で、飢えたならず者どもが、道行く人を捕まえて釜茹でにして食ってしまう場面があったのには驚きました。

 2つ目は若きダライラマが大木にぶつかって大破した車を見て呆然としている場面。ダライラマは子どもの頃からヤンチャで機械いじりが大好きでした。カラスは悪い鳥だと信じて、空気銃で狙い撃ちをしたこともありました。呆然としている場面からはくわしい事情は伝わりませんが、車が大破したいきさつについて説明した方が面白かった思います。きっと故障している車をいじっているうちに暴走させてしまったのでしょう。

 ダライラマは、チベット仏教をはじめ各宗派の仏教や、キリスト教、イスラム教など、広く世界中の宗教を学び、さらには哲学や自然科学まで学びました。そこでたどり着いた結論が「私の考えは単純だ。人は思いやりの心さえあれば十分。難しい哲学も宗教も必要ない」でした。先代のローマ教皇とは実にウマがあって、楽しそうに対談したそうです。

 アフガニスタンでタリバンが政権をにぎったため、イスラム教はコワイと誤解を抱いている人もいるでしょう。キリスト教もイスラム教も教典となる聖書やコーランは同じ系統で、母体はユダヤ教です。この3つは兄弟みたいなものですが、なまじ近いため、ケンカばかりしてきました。さらに各々の宗教内でも派閥ができて、さらにさらに酷いケンカ。神様がケンカするのではなくケンカするのは人間です。

 戒律が厳しいと思われるイスラム世界からは、昔はあの大らかな『アラビアンナイト』が誕生し、現在ではオマー・シャリフ主演の映画『イブラヒムおじさんとコーランの花たち』が高評価を得ました。もっともエジプト人のオマー・シャリフはキリスト教からイスラム教に気軽に改宗してどっちの宗派か疑問がありますが、この映画の出演をオファーされたときは内容を知って大喜びしたそうです。

 さて、「慈しみの心」。自伝などでは「思いやり」と表現されていました。漢字にすると「慈しみ」の方が深い感じがしますが、いざ、孫娘に読みきかせたときは、「いつくしみ」は舌がもつれてしまうので、「おもいやり」に言いかえたりしたものでした。