院長ブログ カーブ

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第453回 忙酔敬語 『掘りだしもの』

 サマセット・モームの短編小説です。原題名は『The Threasure』。今風に言えば「お宝」でしょうか。読んだのは40年ほども昔のことです。何で今頃思い出したのかと言うと、英語の慣用句「カナリアを呑んだ猫」からの関連でした。「カナリアを呑んだ猫」とは満足しているという意味らしい。確かこの小説では「カナリアを呑んだ猫」が訳しようがないのかそまま使われていたようだった、と記憶によみがえりました。

 私の妹は元中学の国語の教員でかつフェミニストでした。妹が結婚前に所有していたモームの短編集のなかで気になったのが、田中酉二郎訳『ジゴロとジゴレット』(新潮文庫)の一編『掘りだしもの』でした。初版は昭和38年でこの本は昭和50年17刷180円。

 イギリスの高級官僚が離婚を期に一人暮らしを始めました。歳は40代後半。一軒家住まいから職場の近くのマンションに引っ越して、奉公人もコック以外は暇を出しました。そこで必要になったのが気のきく女中けん秘書けんその他いろいろ出来る小間使いでした。部屋には塵一つあってはいけない、銀食器は完璧に磨き上げなければならない、週に1度は4,5人の客を招待するので、その給仕もこなさなければならない、品がなければならない、若すぎると落ち着きがないのでダメ、あまり美人だと気が散るからダメ、彼は妥協せずに根気強く面接をくり返し、とうとう「掘りだしもの」を見つけました。

 神経質な男はハンカチーフや靴下が風呂場に干されているのを見て、「どうしてか?」と訊くと「クリーニングに出すと傷みが早くなります」。小旅行から帰って書斎の本の塵が払われているのを見て頭に血がのぼり、「私の書物に手を触れないように言ったはずだ、いったん書棚から取った本はもとに戻ったためしはない」となじったが、本は間違いなくあるべき所にあり、「もし、旦那様が本を開いたらお手が汚れると思いました」と言われ、「すまなかった」と詫び、家に客を招けば客に応じて間違いのないワインを選び、客が何か求めようとすればすぐに察して応じる、一見堅物の彼女にも客の好みはあるようで、そんな客には上物のワインを開けてせっせとグラスに注ぎ、そのときの様子が「カナリアを呑んだ猫」なのでした。

 友人たちは彼の持ち物(?)のなかで彼女がダントツで、その目方だけの黄金やルビーに匹敵すると羨みました。それに「けっこうな美人だぞ」とつけ加えました。ふと気づけばはや4年、「掘りだしもの」は39歳、彼女はたくみに個性を消し去っていたので、彼は「掘りだしもの」に対して特別な感情は持つことはありませんでした。

 そんなある日、ひょんなことから彼と彼女は結ばれてしまいました。翌朝、目を覚ました彼は「俺は何てバカなんだ! 世界一の女中をわずか1時間の気まぐれで失ってしまった」と嘆き悲しみました。そこへ「掘りだしもの」は新聞と手紙を持ってきて、いつものように「お食事になさいますか、それともお風呂をお召しになりますか?」と何事もなかったかのように訊ねました。彼は再び幸福になりました。

 男にとってまことに虫のいい話で、ショーペンハウエルの『女について』を読んで「女をバカにしている!」とカンカンに怒ったフェミニストの妹に今回あらためて確認したところ、フンと鼻を鳴らして言いました。

 「切れる女に手玉に取られたバカな男の話と思ったけどね」  いろいろな解釈があるもんだと感服しました。