佐野理事長ブログ カーブ

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第378回 忙酔敬語 夢を食う

 東京オリンピックへ向けての活動か、現在、女性アスリートの健康支援の講習会がさかんに開催されています。私も3月17日(日)の講習会に参加しました。体重のコントロールのすえ摂食障害。そして骨粗鬆症や疲労骨折。また、月経不順や無月経などかなりやられているアスリートの実態を知ることができました。そこで思ったこと。

 「アホらしい、競技スポーツはカラダに悪いから、やめたらいいのに‥‥‥」

 身も蓋もありませんね。

 いったい、本当にスポーツは必要なのでしょうか?

 イヌやネコ、あるいはテレビでライオンやクマなどの野生動物の様子を見ても、狩りをしている以外は、皆、寝転んでいます。じゃれ合っているのは子供のうちで、成獣になったら無駄なことはしません。狩りを成功するためにきたえている動物なんて見たこともありません。きたえなくても、やるときはやるのです。

 カラスが公園の滑り台で遊ぶ姿を観察した研究者がいましたが、これは例外的な個体です。鳥も一般的には無駄なことはしません。天敵のいない環境に長く住んでいれば、省エネのため翼は退化します。

 どうも人間だけが無駄なことをするようです。昔、敬虔なキリスト教徒である天使病院精神科の村田忠良先生が、「人間と他の動物の違いは宗教性があるかないかにあります」と講演するのを聴きましたが、私にはピンと来ませんでした。「無駄なことをするかどうか」なら、なるほどなと思います。

 自然科学の基本は数学ですが、数学も昔は遊びみたいなものでした。ユークリッド幾何学も中国の異民族皇帝(元のフビライや清の康煕帝など)はゲームみたいに楽しんでいました。江戸時代の日本では関孝和によって和算が完成され、庶民(多分富裕層でしょう)も難問に挑戦して、完成した額を神社に奉納しました。無駄だ無駄だ、と言って来ましたが、遊びもここまで来ると世界に誇っても良いでしょう。

 現代数学でも日本人は大活躍で、とくに岡潔博士は素数の研究で世界的な業績を残しました。その内容についてはチンプンカンカンプンですが、高校2年生のときに読んだ随筆『春宵十話』は、「発見の鋭い喜び」といった数学の美について熱く語っていたため、一時期、数学が好きになり成績も伸びましたが、ただし、ここまででした。

 スマホによるゲームは、高度な文明のなせる技に感じるかもしれませんが、ただ画面をなぞっているだけで知能はほとんど使われていません。チンパンジーでも訓練すればある程度できるそうです。あれこそ時間の無駄です。

 考えてみれば、文学や美術、音楽といった芸術も生物としては無駄な存在ですが、それに魅了されて人生ををかける人までいます。生物として生きるための衣食住がたりたため、ゆとりが出て、そのエネルギーをぶつけるのでしょう。砂漠や極寒、あるいはジャングルのなかに住んでいる人々は、生きているだけで精一杯なので無駄なことはできません。

 こう考えてみると無駄なことをするということは、「夢を食べる」行為ではないかと思います。始めに、競技スポーツに対して身も蓋もないことを書きましたが、健康的に打ち込んでいる選手を見ると、充実感に満ちあふれ、こちらにも嬉しくなります。破滅しない程度に頑張って!と言いたくなりました。