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忙酔敬語/院長ブログ

2018.3.5
第319回 忙酔敬語 お金について考える

昨今、世間ではビットコインなどの仮想通貨についての話題で持ち上がっています。

朝夕のテレビニュースで紹介される為替とか株式事情について、何のことやらサッパリ分からない私にとって、まったく理解の範疇からはずれていましたが、このところハタと気づくことがありました。

そもそも「お金」自体が仮想通貨と根本的に同じようなものではないかということです。

昔は「お金」として金や銀などが使われていたため、その物自体に価値がありました。近代になると持ち運びが便利な紙幣が登場しましたが、それだと単なる紙なのでドルを代表する金と交換できる兌換紙幣としての付加価値がつけられました。しかし、現在、兌換紙幣は世界から姿を消し、「お金」自体には価値がなくなりました。単なる信用だけです。

日本は江戸時代から経済が飛躍的に発展して、基本的にはお米が価値の基準でしたが、便利な金や銀などの貨幣が使用されるようになり、しかもその時によって金と銀の価値が変動するためややこしいことになりました。両替商なる奇っ怪な商人が登場し、それにともない相場や為替などという制度も発生しました。このあたりが私の理解の限界です。

当然、経済の中心を握るのは大商人で、武士ひいては武士の所属する藩までが、財政がひっ迫すると商人から借金をすることとなりました。

ここで目を見張るのが薩摩藩の借金踏み倒し政策です。私は高校のとき日本史が苦手でした。漢字の書き取りが苦手だったため、漢字で回答しなければならない日本史は生理的に受けつけませんでした。しかし、教科書のすみに書いてあった薩摩藩の借金踏み倒しのコラムはインパクトがあり、いまだに覚えています。

薩摩藩は歴代藩主の散財のツケがたまって500万両の借金で首が回らなくなりました。そこで毎年2万両ずつ利子なしで250年かけて返済するという承諾書を御用商人に押しつけました。薩摩藩はその後、密貿易などでガッポリ稼いで幕末から維新にかけての武器調達などの財源を蓄えました。それでも借金の返済はあくまでも毎年2万両。おまけに維新後は藩が消滅したため借金はウヤムヤになりました。御用商人こそいい面の皮でした。

これにひきかえ、ケネディ大統領が日本史上一番の政治家と評価した上杉鷹山はバカみたいです。借金で破綻した米沢藩の財政を産業を育成して立て直し、一生かけて借金を返済しました。でもすべては返済できず次世代の藩主に引きつがれました。

私にとって「お金」の価値が夢幻と認識したもう一つの事件は、第二次大戦後の「円銭切り替え」です。それまで使用されていた貨幣の価値は大暴落しました。もちろんいろいろゴタゴタはありましたが、その後の経済は発展し、神武景気に突入しました。

「お金」が幅をきかせるのは近世からですが、古代の人々はどうだったのでしょう。ここで思い出したのが『万葉集』の山上憶良の「貧窮問答歌」です。

<‥‥わくばらに 人とはあるを 人並みに 吾(あれ)も作(なれ)るを‥‥>

吾も「稼ぐ」のではなく「作る」のです。その作物を無慈悲な役人が取り立てに来ます。<‥‥‥かくばかり なすべきものか 世間(よのなか)の道>で長歌は終わります。

たとえ「お金」がない世界でも、人が生きていくかぎり経済的な問題からは逃れることは出来ません。経済をスムーズにする手段として「お金」はすぐれた道具ですが、気の遠くなるような赤字国債をみても、「お金」は幻だということが分かります。

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